1.それでも生きる
(1)2020年4~9月のコロナ禍、NHK「こころの時代」というテレビ番組で、東京神学大学の小友聡先生が『それでも生きるー旧約聖書「コヘレトの言葉」』という主題で講義をされました。コロナ禍、マスクの生活が続き、人との交わりができない。閉塞的な状況の中で、息苦しい生活が続きました。そのような中で、コヘレトの言葉が人々に響くものがありました。多くの反響が寄せられました。それを受けて、翌年、番組が再放送されました。更に、小友聡先生と作家の若松英輔さんとの番組での対談がまとめられた小冊子が出版されました。『すべてには時があるー旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』。
小友先生はコロナが世界に蔓延する前の2019年2月に、『コヘレトの言葉を読もうー「生きよ」と呼びかける書』(日本キリスト教団出版局)を出版されました。「信徒の友」で連載していたものを新たにまとめた書物です。そこで新しいコヘレトの言葉の解釈を提示されました。多くの方に読まれました。NHKのディレクターにも目が留まり、「こころの時代」で語るきっかけとなりました。小友先生の新しいコヘレトの言葉の解釈は、これらの書物の表題で提示されています。「『生きよ』と呼びかける書」「それでも生きる」。息苦しい時代にあって、生きずらい時代にあって、神はコヘレトの言葉を通して、「生きよ」「それでも生きよ」と呼びかけておられるのです。コヘレトの言葉の黙想を通して、神の生きた呼びかけを聴きたいと願っています。
「こころの時代」の番組が終了して間もなく、小友先生に視聴者から電話がありました。若い女の子の声でした。「先生、生きよっていうけれど、生きられないよ。毎日、学校でいじめられて地獄だよ。それでも、私に生きよっていうの」。小友先生は応えられました。「それでも生きるんです。いつか必ず、あのとき生きる道を選んでよかったと思える日が来ます。その日のために生きてください」。
最近、スイスの優れた説教者リュティのコヘレトの言葉の説教が、新しい訳で出版されました。『コヘレトの言葉―人生を生きよ』(宍戸達訳、新教出版社)。ここでも、「人生を生きよ」と呼びかけています。
(2)口語訳聖書では「伝道の書」と呼ばれ、私どもはこの呼び名に親しんできました。新共同訳では「コヘレトの言葉」となりました。聖書協会共同訳でも「コヘレトの言葉」です。「コヘレト」は「集める」「集まる」という言葉から生まれました。そこから「集会を司る者」「集会で語る者」という言葉となりました。「伝道者」「説教者」とも言えます。「コヘレト」は集会で語る者のペンネームであったと言われています。
2.終末に望みを抱く信仰、この世を徹底的に生きる信仰
(1)聖書研究・祈祷会において「預言者の言葉」を黙想して来ました。預言者が登場した順で、預言者の言葉に耳を傾けて来ました。アモスから始まり、最後はダニエルでした。ダニエル書は紀元前164年頃に編集されたと言われています。旧約聖書で最も新しい時代にまとめられました。しかし、小友先生は旧約聖書で最も新しい時代に編集されたのは、コヘレトの言葉であると捕らえます。紀元前150年頃であると位置づけます。なぜなら、コヘレトの言葉はダニエル書を知っていたと解釈するからです。その点で、私どもがダニエル書からコヘレトの言葉を黙想するのは、意味のあることです。
ダニエル書は、歴史の終わりに、「人の子」のような者が天の雲に乗って来られることを預言します。終末に望みを抱く信仰を語ります。これを「黙示文学的信仰」と呼びます。ダニエル書が編集された当時、ユダヤ人の迫害の時代であったからです。ダニエル書は、新バビロニア帝国のネブカドネツァル王の夢を、ダニエルが解き明かすことが主題となっています。ダニエル書2章28節「だが、秘密を明かす天の神がおられ、この神が将来何事が起こるのかをネブカドネツァル王に知らせてくださったのです」。29節「神は秘密を明かし、将来起こるべきことを知らせようとなさったのです。その秘密がわたしに明かされたのは、命あるものすべてにまさる知恵がわたしにあるからではなく、ただ王様にその解釈を申し上げ、王様が心にある思いをよく理解なさるようお助けするためだったのです」。45節「それによって、偉大な神は引き続き起こることを王様にお知らせになったのです。この夢は確かであり、解釈もまちがいございません」。将来起こるべきことを、ダニエルが解釈することが強調されています。5章25節「さて、書かれた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、そして、パルシン。その意味(言葉の解釈)はこうです。メネは数えるということで、すなわち、神はあなたの治世を数えて、それを終わらせたのです。テケルは量を計ることで、すなわち、あなたは秤にかけられ、不足と見られました。パルシンは分けるということで、すなわち、あなたの王国は二分され、メディアとペルシャに与えられるのです」。
(2)ダニエル書は2章4節から7章まで、アラム語で書かれています。コヘレトの言葉はダニエル書を知り、読み、ヘブライ語で翻訳したと思われる箇所があります。コヘレトの言葉8章1節「『人の知恵は顔に光を添え、固い顔をも和らげる』。賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か」。8章7節「何事が起こるかを知ることはできない。どのように起こるかも、誰が教えてくれようか」。コヘレトの言葉は、将来起こることを解釈すること、言葉の解釈など出来ないと否定しています。将来に望みを抱く、黙示文学的信仰を否定し、この世を徹底的に生きる信仰、反黙し文学的信仰に生きます。旧約聖書の中に、このように相反する信仰の文書が納められているところに、旧約聖書の豊かさがあります。
3.空の空、空の空、一切は空である
(1)1節「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」。知恵の王と呼ばれたソロモン王が作者であると記されていますが、実際は、知恵の王・ソロモン王の名を借りて記しています。
コヘレトの言葉は、印象深い言葉で始まります。「コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」。口語訳はこう訳していました。「空の空、空の空、いっさいは空である」。聖書協会共同訳もこの訳です。従来、コヘレトの言葉は、虚無主義者、厭世主義者であったと言われてきました。この世は何と空しいことかと受け止め、この世の現実と向き合わず、現実から逃避して生きる。それが「なんという空しさ」という訳に表れています。人生は何と無意味で、不条理であることか。しかし、「空」という言葉には様々な意味が込められています。実に、38回も用いられています。「空」(ヘベル)という言葉は、カインの弟アベルと同じ言葉です。時間的な短さ、儚さを意味します。人生は何と短く、儚いことかという事実を表しています。小友先生は「束の間」と訳しました。「ほんの束の間、とコヘレトは言う。ほんの束の間、すべては束の間である」。今日の時代よりも平均寿命がもっと短かった時代です。人生は短く、束の間であり、儚い。それ故、人生は空しいと嘆いているのではないのです。人生は短く、束の間であり、儚いからこそ、この人生を真剣に生きようとする信仰が語られているのです。
(2)2~11節は、聖書協会共同訳でこう訳されています。
「太陽の下、なされるあらゆる労苦は、人に何の益をもたらすのか。一代が過ぎ、また一代が興る。地はとこしえに変わらない。日は昇り、日は沈む。元の所に急ぎゆき、再び昇る。南へ向かい、北を巡り、巡り巡って風は吹く。風は巡り続けて、また帰ってゆく。すべての川は海に注ぐが、海は満ちることがない。どの川も行くべき所へ向かい、絶えることなく流れてゆく」。
「すべてのことが人を疲れさせる。語り尽くすことはできず、目は見ても飽き足らず、耳は聞いても満たされない。すでにあったことはこれからもあり、すでに行われていたことはこれからも行われる。太陽の下、新しいことは何一つない。見よ、これこそは新しい、と言われることも、はるか昔、すでにあったことである。昔の人々が思い起こされることはない。後の世の人々も、さらに後の世の人々によって、思い起こされることはない」。
大串元亮牧師が『新しいものはあるか』、コヘレトの言葉講解説教(教文館)を書かれています。「太陽の下、新しいことは何一つない。見よ、これこそ新しい、と言われることも、はるか昔、すでにあったことである」。コヘレトの言葉の象徴的な言葉です。イザヤ書43章18~19節で、こう語られています。「初めからのことを思い出すな。昔からのことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか」。バビロン捕囚時代に語られた預言者第二イザヤの言葉です。全てが無に帰した荒廃の現実の中で、見よ、主なる神は新しいことを行われる。終末信仰が語られます。しかし、コヘレトはこのような終末信仰を拒否します。「太陽の下、新しいことは何一つない。見よ、これこそ新しい、と言われることも、はるか昔、すでにあったことである」。終末の望みを抱かず、徹底的にこの世に示された望みに生きます。
それは果たしてどのような信仰なのでしょうか。次回の2章で、そのことが語られています。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 5月31日の祈り ヨハネ一2・25
「主よ、われらの神よ、われらはあなたをよろこび、地上の人間のためにあなたが約束してくださったことのすべてをよろこびます。そしてどんな苦痛のもとにあっても、み心にかなうものがひろがり、人間の心のうちにあって栄光のために役立つことが、ひろがっていくようにと願います。われらが生きることのうちで、あなたがすでに約束してくださったことについて多くの経験をさせてください。そしてわれらが常によろこびつづけ、常にあらたに困難な時代から立ち上がり、困難な状態を生き抜くことができますように。み力によってわれらを守り、われらを恵んでくださいますように。アーメン」。