「第146回信徒セミナー」
2026年9月27日
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Ⅰ はじめに
日本国憲法の、特に人権規定の根底にはキリスト教の考え方がある。
日本国憲法は、アメリカから押し付けられたものではなく、鈴木安蔵ら憲法研究会の提案した「憲法草案要綱」を参考に作られた。
【憲法研究会】
① 憲法草案要綱署名者7名中のキリスト者ないしキリスト教の影響の強い者
・鈴木安蔵(1904~1983)福島県相馬郡小高町(現・南相馬市小高区)出身。両親と姉が日本基督教会小高教会(現・日本基督教団小高伝道所)教会員。自身も日曜学校に通う。1926年、日本学生社会科学連合会事件(京都学連事件)で逮捕(治安維持法の最初の適用例)され、大学を退学し2年以上服役。岳父・栗原基(新島襄が仙台に設立した東華学校在学中に受洗。旧制第三高等学校教授となり、YMCA活動を指導)の親友・吉野作造(本郷教会教会員)に紹介され、日本の憲法制定史研究に着手し、植木枝盛を研究。憲法史研究会を設立。戦後、静岡大学教授、愛知大学教授、立正大学教授を歴任。
・森戸辰男(1888~1984)広島県福山市出身。福山中学校在学中に洗礼を受けた(聖公会)。東京帝国大学経済学部助教授在職中の論文「クロポトキンの社会思想の研究」が無政府主義を鼓吹するとして有罪判決(禁固三箇月)を受け、東大を退職(森戸事件)。出獄後、師・高野岩三郎に招かれ大原社会問題研究所研究員就任。戦後、社会党に入党し衆議院議員。教育基本法原案作成に関与。1947年、片山内閣、芦田内閣で文部大臣。1950年、広島大学初代学長に就任。
・馬場恒吾(1875~1956)岡山県出身。旧制第二高等学校(仙台)に入学し、在学中に、東北学院(ドイツ改革派)学院長・押川方義の聖書講義を受け、洗礼を受けた。二高を中退し、安部磯雄(1865~1949.キリスト者。後年、衆議院議員)に憧れ同志社神学校に入学したが中退し、安部磯雄が東京専門学校(現・早稲田大学)に移籍したのを追って東京専門学校に入学後、中退。国民新聞社(社長徳富蘇峰)で政治記者を務め、1923年の関東大震災による経営危機で退社。以後フリージャーナリストとして軍部独裁・ファシズム批判。日米開戦前後から著作発表の機会を奪われた。1945年、読売新聞社社長、貴族院議員。
② 憲法研究会会員ではないが会議に参加したキリスト者
・鈴木義男(1894~1963)福島県白河市出身。父はメソジスト教会牧師。日本メソジスト仙台教会(現・日本基督教団仙台五橋教会)教会員。東京帝国大学で吉野作造に師事。行政法学者。東北帝国大学教授だったが軍事教育批判をし、著作権法違反の疑いで1930年に辞職。弁護士となり、人権擁護の弁護活動。戦後、日本社会党に入党し、日本国憲法制定審議に衆議院議員として参加。片山内閣、芦田内閣で司法大臣。
・今中次麿(1893~1980)広島市出身。旧制第五高等学校(熊本)在学中に受洗。東京帝国大学で吉野作造に師事。政治学者。同志社大学法学部教授、九州帝国大学教授等を歴任。1941年に公刊した『政治学』で時局批判を行ったとして発禁処分を受け、1942年に辞職。1946年に九大に復職後、広島大学教授、佐賀大学長、北九州大学長を歴任。
【日本社会党(現社会民主党)創立時のメンバー】
・憲法研究会の高野岩三郎、森戸辰男と前出の鈴木義男は日本社会党創立時メンバー。日本社会党は衆議院帝国憲法改正審議においても憲法改正案を提案し平和条項等に影響を与えた。他の社会党のキリスト者:
・片山哲(1887~1978):和歌山県出身。父が弁護士、母がキリスト者(田辺教会)。東京帝大法学部卒業。富士見町教会会員。弁護士として森戸辰男事件の弁護を担当。日本国憲法制定の審議には衆議院議員として参加。1947年~1948年、内閣総理大臣。金沢教会の淡中彰義長老の妻・淡中操子長老の兄。
・賀川豊彦(1888~1960):神戸市出身。日本基督教会徳島教会にて受洗。労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動等、幅広い活動。日本社会党の創立に関与。
Ⅱ 歓待について
・カント『永遠平和のために』(1795年)第三確定条項
「歓待、すなわち〈善きもてなし〉[Hospitalität]というのは、外国人が他国の土地に足を踏み入れたというだけの理由で、その国の人から敵として扱われない権利をさす。……外国人がその場で平和的にふるまうかぎりは、彼を敵として扱ってはならない。……外国から訪れた人が要求できるのは、訪問の権利であり、すべての人が地表を共同で所有するという権利に基づいて、たがいに友好的な関係を構築するために認められるべき権利なのである。この地球という球体の表面では、人間は無限に散らばって広がることができないために、共存するしかないのであり、ほんらいいかなる人も、地球のある場所に居住する権利をほかの人よりも多く認められることはないはずなのである。……この歓待の権利……が認められることで、世界の遠く離れた大陸がたがいに平和な関係を結び、……人類がいずれはますます世界市民的な体制に近くなることが期待できるのである。……とくにヨーロッパ大陸で商業を営む諸国の歓待に欠けた態度を考えていただきたい。……彼らにとって訪問とは征服を意味するのである。」(カント(中山元訳)『永遠平和のために』(光文社、2006年)185~187頁)
・ポルタリス『カレーの遭難者擁護論』(1797年)
「亡命貴族は、海上事故によって我々の海岸に運ばれた場合には、犯罪者ではなく、不幸な人に他ならない。当該亡命貴族は、報復ではなく哀れみを要請する。フランスは、当該亡命貴族にとって、貪婪な土地ではなく、歓待の土地[une terre hospitalière]とならなければならない」。「遭難した人々は、本来、特定の裁判所で裁かれるべき人々ではない。遭難した人々を裁くことが問題ではなく、救助することが問題である。これらの人々は、普遍的な同情の保護の下にある。遭難した人々がやむを得ない避難所を手に入れた国家は、そのことについて全世界に対して責任を持つ。」「歓待[hospitalité]の行為が必要であって、権力の行為は必要ではなかった。遭難が確認されると、あらゆる訴訟手続は禁じられた。国民の憐れみと寛大さが、ただ明らかになるべきであった。」。「我々の勇敢な船乗り、我々の商人、我々の旅行者たちは、おそらく、いつか、あなた方が宣言する歓待の格率を利用するかもしれない。」。
☞マタイによる福音書25章35節「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
☞ルカによる福音書10章33~34節「旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」
☞ローマの信徒への手紙12章13節「聖なる者たちに必要なものを分かち、旅人をもてなすように努めなさい」
☞ヘブライの信徒への手紙13章2節「旅人をもてなすことを忘れてはなりません。そうすることで、ある人たちは、気付かずに天使たちをもてなしました」
※敵意[hostilité]⇒歓待[hospitalité](見知らぬ者を無料宿泊させること)。hôte[主人⇔客]
・カント『永遠平和のために』第1予備条項「将来の戦争の原因を含む平和条約は、そもそも平和条約とみなしてはならない。その理由は、この条約はたんなる停戦条約にすぎず、敵対的な状態を延長しただけであり、平和をもたらすものではないからである。平和とはすべての敵意をなくすことであるから、永遠のという言葉をつけるのさえ、そもそも余計なことなのである。平和条約というものは、締結の時点では当事者すらまだ意識していない原因を含めて、将来の戦争の原因となりうる要因をすべてまとめて排除するものである。」(中山元訳149頁)
☞エフェソの信徒への手紙2章14~16節「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
※敵意をなくすこと。まず神との和解。キリストの十字架によって。
Ⅲ 戦争の放棄(憲法9条)・カントの平和論・聖書
第9条
・不戦条約(1928年)第1條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
・カント『永遠平和のために』第3予備条項「常備軍はいずれは全廃すべきである」。「常備軍の兵士は、人を殺害するため、または人に殺害されるために雇われるのであり、これは他者(国家)が自由に使うことのできる機械や道具として人間を使用するということである。これはわれわれの人格における人間性の権利と一致しないだろう」(中山訳152~153頁)。
☞ゼカリヤ書9章9~10節「彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。」
・エラスムス『平和の訴え』(1517年)(箕輪三郎訳、岩波文庫)20「キリストがお生まれになった時、天使たちは戦闘らっぱを吹き鳴らしたでしょうか。」
☞ルカによる福音書2章13~14節「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」
Ⅳ 日本国憲法前文について
第1項「総論、国民主権」
第2項「平和主義と基本的人権の尊重」
第3項「国際関係」
第4項「根本規範」
Ⅴ 平和と人権の関係
・世界人権宣言(1948年)前文冒頭:「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」。
・テヘラン宣言(1968年)前文末尾:「平和は人類の普遍的な熱望であり、平和と正義は人権及び基本的自由の完全な実現にとって不可欠である」。
⇒「平和なくして人権なし」「人権の確立なくして平和なし」
※聖書における平和(ヘブライ語(旧約聖書):シャーローム、ギリシャ語(新約聖書):エイレーネー):平和は神が与えて下さるもの(イザヤ書26章12節、45章7節等)。単に争いや戦争のない穏やかな状態といった静的なものではなく、神により守られ与えられる生命に満ち溢れた祝福、健康、幸福、繁栄、発展、安全、救済などの意味をもつ動的・積極的なもの。神と人、人と人との間の和解が回復されること(エフェソの信徒への手紙2章14~19節)。
・ジョン・ロック『統治二論』後篇「政治的統治について」第2章「自然状態について」第6節より(1690年、加藤節訳岩波文庫版)(人間は神の作品であり、神から与えられている生命、健康、自由、財産(プロパティ)を保持しなければならないとしつつ)「自己自身の保全が脅かされない限り、できるだけ人類の他の人々をも保存すべきであり、また、侵害者に正当な報復をなす場合を除いては、他人の生命、あるいはその生命の維持に役立つもの、すなわち、自由、健康、四肢あるいは財貨を奪ったり、損ねたりしてはならないのである。」
・同第5章「所有権について」より:「人は誰でも、腐敗する前に、自分の生活の便宜のために利用しうる限りのものについては自らの労働によって所有権を定めてもよい。しかし、それを越えるものはすべて彼の分け前以上のものであり、他者に属する。腐敗させたり、破壊したりするために神が人間に向けて創造したものは何もない。」「人間に対して、神は世界を共有物として与えた。……神が世界を与えたのは、あくまでも勤勉で理性的な人間の利用に供するためであり……、断じて、喧嘩好きで争いを好む人間の気まぐれや貪欲さのためではなかった。……すでに人のものとなったのと同じくらいの土地がたっぷりと残されている人間は何等不平を言う必要はなく、また、他人の労働によってすでに改良されている土地には決して干渉すべきではない。」
☞出エジプト記16章4節「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。」
☞同20章17節「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(十戒の第10戒)
☞マタイによる福音書6章11節「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」
・エラスムス『平和の訴え』(1517年)
25「イエスはまた、空の鳥や野のゆりのように、その日その日を送るように、とも教えておいでです。思いわずらうことも、次の日までもち越すことを禁じられたのです、主の御心はいっさいを天にまかせることにあるのです。主はまた、すべての富める者を天国からしめ出しておられますね。しかしそんなことにはお構いなしに、期日までに返済されなかったり、また、おそらくは貸したことにもならない僅かな金銭のために、君主たちはおびただしい人間の血を平然として流していますが、特に現代においては、このような些細なことが戦争をしかけるための正当極まる理由となっているように見受けられますね。」
51「今日では、君主たちは何の危害を受けることもなく戦争をやり、指導者たちは悠々私腹を肥やしています。そして戦争には何の関係もなく、何一つその原因を作ることもなかった農夫や大衆の頭上に、この上もなく大きな災禍が降りかかっているのですよ。」
76「大多数の一般民衆は、戦争を憎み、平和を悲願しています。ただ、民衆の不幸の上に呪われた栄耀栄華を貪るほんの僅かな連中だけが戦争を望んでいるにすぎません。……戦争は戦争を生み、復讐は復讐を招き寄せます。」
Ⅵ 戦争の放棄(憲法9条)再論
・カント『永遠平和のために』第3予備条項「常備軍はいずれは全廃すべきである」。「常備軍の兵士は、人を殺害するため、または人に殺害されるために雇われるのであり、これは他者(国家)が自由に使うことのできる機械や道具として人間を使用するということである。これはわれわれの人格における人間性の権利と一致しないだろう」(中山訳152~153頁)。
・同『道徳形而上学原論』(岩波文庫版85頁、103頁)「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでも、また、いかなる場合にも、同時に目的として使用し、決して単なる手段として使用してはならない。」
・同『永遠平和のために』第1確定条項「共和国的ではない体制では、戦争は日常茶飯事の一つとなる。それは国家の元首が国家の一員であるのではなく、国家の所有者だからである。……元首は戦争を一種の娯楽のように考え、それほど重要ではない原因で開戦を決意するのである。そして、体裁をつくろうために、いつでも待機している外交使節たちに戦争を正当化させるのである」(169頁)。☞エラスムス『平和の訴え』と同趣旨
☞サムエル記上第8章4節以下
・イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、 彼に申し入れた。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」 裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。 彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。 今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」
サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。 彼はこう告げた。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、 千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。 その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」
☞イザヤ書2章4~5節「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」
☞同11章6~9節「狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。」
・攻撃する力を持たないことこそ、最大の守りであり、戦力なのである(『新共同訳旧約聖書注解Ⅱ』(日本基督教団出版局、1994年)282頁(木田献一執筆))。
・中村哲の証言「支援は丸腰で」
・カント『永遠平和のために』第3予備条項「常備軍はいずれは全廃すべきである」には、留保すべき点がある。第3予備条項は、「法規則の執行という視点から、状況に応じて主観的に、適用を加減することができるものであり、完全な遂行を延期することも許されている。」(中山訳158頁)。「国民が、みずからと祖国を防衛するために、外敵からの攻撃にそなえて、自発的に武器をとって定期的に訓練を行うことは、常備軍とはまったく異なる事柄である。」(中山訳153頁)
・フランス革命時、周辺諸国に攻められたフランスは革命軍(義勇兵)を組織して戦った。⇒カントは国民の自発的な武装を肯定する。
・我々はどう考えるか。※伯父(深谷松男の兄)深谷栄次について。
Ⅶ 根本規範としての個人の尊厳と基本的人権
・憲法第13条
☞人間の(人格としての)尊厳は次の二点に基づく(憲法は黙して語らない)。
(1)神が自分にかたどって人間を創ったということ(創世記1章26節)。
(2)罪ある人間は、キリストの十字架の死によって救われた(人間の価値がキリストの血と同じ価値である)。
・伯父(深谷松男の兄)深谷金之亟のこと。
・戦争は、個人の尊厳を損なう。
・個人の尊厳の尊重は基本的人権の基礎。
・基本的人権とは:固有性、普遍性、不可侵性、永久性(憲法11条、97条)
➀固有性:人権は、憲法に規定されているから存在するのではなく、人間であることにより当然に(国家が認めようと認めまいと)有する権利であるということ。
➁普遍性:人権は、人種、性別、身分等の区別に関係なく、人間であることに基づいて当然に享有できる権利であるということ。
➂不可侵性:人権は、公権力によって侵されないということ。歴史的に、人権・自由は、国家によって最も多く侵害された。
④永久性:人権は、憲法を改正したとしても否定できないということ。
Ⅷ 信託された人権と平和
憲法第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、……現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
☞「この場合の委託者は神であり、この創造主から天賦の権利として預けられたものと解さねばならない。」(法学協会編『註解日本国憲法下巻』)。
☞信託:委託者が受託者にある物(権利)を与えるが、受託者はそれを自分のためにではなく、委託者からこの人のために使えと指示された人(受益者)のために使わなければならない。
委託者:神。受託者:現在及び将来の日本国民。受益者:人類一般。
☞創世記1章26節以下(神がアダムにこの地球上の生物の支配を委ねた)や、葡萄園を農夫に預けて旅に出た主人(マタイ21章33節以下)、タラントンのたとえ話(マタイ25章14節以下)等。
☞「テモテよ、あなたに委ねられたものを守り、俗悪な無駄話や、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい」(『テモテへの手紙一』6章20節)、「あなたに委ねられた良いものを、私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい」(『テモテへの手紙二』1章14節)「委ねられたもの」=dépôt(受託物)。
・原語のギリシャ語では信託財産を意味するパラテーケー[parathēkē]。「委ねられたもの」とはテモテに授けられた使徒伝来の信仰。
・我々に信仰が委ねられているように、我々には人権と平和が託されている。
・エラスムス『平和の訴え』21「キリストはその全生涯にわたって、この平和を勧められたのでした。死に臨まれた時、どんな心遣いをこめてその弟子たちに、平和のことをお頼みになったことでしょう。」
☞『ヨハネによる福音書』13章34節「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」同14章27節「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」
・エラスムス『平和の訴え』23「お祈りは一人で捧げられるのですが、その願いはすべての者のためです。すべての者は、一つの家に住み、同じ家族に属し、一人の父に頼っているのです。それなのに、彼らが絶え間もなく戦争をしてお互いに激闘し得るなどという意見に、誰が賛成できるでしょうか。血を分けた兄弟の腹に剣を突き刺したりして、私たちすべてに共通の父の御名を、あなたはどんな口して呼ぶつもりですか。」
・深谷松男『21世紀の友に贈る平和へのメッセージ』186頁
「私たちが最も用心しなければならないことは、悪魔のささやきがあるということであり、それに対して極めて弱いということです。『先手を打たれないうちに備えをせよ。いつでも集団的自衛権をもって反撃できるようにしておけ』などとのささやきがあるのです。大国ほど、また権力者こそ、かのヘロデ大王のようにこのささやきに弱いのです。……それゆえ、主は教えられました。『わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください』と祈れ、と。いわゆる主の祈りの第六の祈りです。」
「聖書は絶えず諭しています。『キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい』(『コロサイの信徒への手紙』3章15節)と。心定めてその教えを聞きつつ、イザヤにならって祈ります。『主よ、平和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を 成し遂げてくださるのはあなたです。私たちの神なる主よ あなた以外の支配者が我らを支配しています。しかしわたしたちは あなたの御名だけを唱えます』(イザヤ書26章12~13節)と。」
