1.ソドムとゴモラの滅び
(1)聖書には神の審きの出来事が語られます。ノアの時代の洪水の出来事です。それに匹敵する神の審きの出来事は、ソドムとゴモラの滅びです。聖書の中でも、最も厳しい神の審きと言われています。ソドムとゴモラは歴史から失われ、滅んで死海の底に沈みました。
19章はこういう御言葉から始まっています。「二人の御使いが夕方ソドムにやって来たとき、ロトはソドムの門のところに座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって出迎え、そして地に顔を付けてひれ伏して、言った。『皆様、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして明日の朝早く起きて、旅を続けてください』」。二人の主の御使いのロトへの訪問です。この叙述は、18章の三人の旅人、神と二人の御使いのアブラハムへの訪問の出来事と響き合っています。アブラハムもロトも、ひれ伏し、旅人を迎えています。ロトがソドムの門のところに座っていたとは、ロトがソドムの指導的な立場であることを示しています。
2b節「ところが彼らは、『いえ、私たちは広場で夜を過ごします』と答えた。しかし、彼がしきりに勧めるので、彼らはロトのところに立ち寄ることにして、家に入った。ロトはもてなしの食事を準備し、種なしパンを焼いたので、彼らは食事をした」。
(2)ところが、その夜、事件が起こります。4節「ところが彼らが休む前に、町の男たち、ソドムの者が若者から老人までこぞって押し寄せ、家の周りを取り囲んだ。そしてロトに向かって叫び立てて言った。『今夜、お前のところにやって来た男たちはどこにいる。ここに出せ、我々は連中を知りたいのだ』」。
ソドムとゴモラの罪が明らかにされます。夜、ソドムの男たちが押し寄せ、旅人の男たちを求めました。「我々は連中を知りたいのだ」。「知る」という言葉は性的な交わりを意味します。新共同訳では「なぶりものにする」と訳されていました。元の言葉は「ソドミー」です。「ソドムをする」、すなわち、不品行を表す言葉となりました。
6節「ロトは戸口を出て彼らのところに行き、後ろの戸を閉めて、言った。『兄弟たちよ、どうか、ひどいことをしないでください。聞いてください。私には男を知らない二人の娘がいます。その娘たちを皆さんに差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せたのですから』」。ロトは恐ろしい対応を取ります。結婚前の二人の娘を差し出そうとします。親として、してはならないことです。しかし、ソドムの男たちが求めているのは、娘ではなく、旅人の男性です。
9節「だが彼らは言った。『引き下がれ』。『こいつはよそからやって来ていながら、取り仕切ろうとしている。それならあの連中より先にお前のほうをいたぶってやろう』。そして、ロトの身に激しく迫り、近寄って戸を破ろうとした」。
2.生き延びるために逃げなさい、振り返ってはならない
(1)10節「すると、あの二人の男たちが手を伸ばして、ロトを家の中の自分たちのもとへ引き入れて戸を閉めた。そして家の戸口にいる男たちの目をくらませ、子どもから大人まで打ったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた」。
12節「二人はロトに言った。『まだほかに誰か身内の者、婿や息子や娘がここにいますか。町にいる身内の者は皆、ここから連れ出しなさい。私たちはこの町を滅ぼそうとしているのです。彼らの叫びが主の前に大きくなり、主はここを滅ぼすために私たちを遣わされたのです』」。主の御使いの訪問の意味が明らかにされます。主はこの町を滅ぼそうとしている。ソドムの町の不品行な叫びが主の前に大きくなっている。
14節「ロトは出て行って、婿たちに声をかけて言った。『さあ、すぐにこの場所から出なさい。主はこの町を滅ぼそうとされているのです。』。しかしそれは、ロトの婿たちには馬鹿げたことのように思われた」。神の審きは切迫化しています。しかし、ロトの婿たちには「馬鹿げたこと」のように思えた。新共同訳では「冗談」。神の審きの切迫化に鈍くなっている。言い換えれば、自分たちの罪に鈍感である。今日の時代に通じるものがある。
(2)15節「夜が明ける頃、御使いたちはロトをせきたてて言った。『さあ、すぐにあなたの家とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下される罰によって滅ぼされてしまうでしょう』」。しかしロトはためらっていた」。ロトも神の審きの切迫化に鈍くなっていた。
15b節「そこで二人の男たちは、主の憐れみによってロトと妻と二人の娘の手をつかんで逃げ出し、町の外に置いた。彼らを外に連れ出したとき、主は言われた。『生き延びるために逃げなさい。振り返ってはならない。低地のどこにも立ち寄ってはならない。山へ逃げなさい。滅ぼされないためです』」。ロトの不信仰が現される中、主の憐れみによって、ロトと妻と二人の娘が町の外に連れ出された。
18節「しかしロトは言った。『主よ、私にはできません。確かに僕はあなたの恵みを得ています。あなたは私の命を救うために、慈しみを豊かに示されました。しかし私は山へ逃れることはできません。災いが襲いかかって来て、私は死んでしまいます。御覧ください。あの町は近くにあるので逃げ込むことができます。しかも小さな町です。どうかそこへ逃れさせてください。小さな町ではありませんか。私はそこで生き延びることができるでしょう』」。ロトは尚、ためらっています。主が命じた山ではなく、近くの小さな町へ逃れることを願います。
21節「すると主は言われた。『では、このことでもあなたの願いを聞き入れ、あなたの言うその町を滅ぼさないでおこう。急いでそこへ逃れなさい。あなたがそこに着くまで、私は何もしない』。それで、その町の名はツォアルと呼ばれた。ロトが逃れた町はツォアル、「小さな町」という意味です。ソドムとゴモラの近くにある低地の町です。13章10節に出て来ました。
3.神はアブラハムのことを忘れず、ロトを滅亡のただ中から救い出された
(1)23節「日が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。主はソドムとゴモラの上に、主のもとから、すなわち天から硫黄と火を降らせ、これらの町と低地一帯、町の住民すべてと、土地に芽生えるものを滅ぼされた。ロトの妻は振り向いたので、塩の柱になった」。主の命令は、「生き延びるために逃げなさい。振り返ってはならない」。しかし、ロトの妻は主の言葉に背き、振り向いた。何故か。神の審きは御言葉通りに行われるのを確かめたかったのか。神の審きがどのようなものか見たかったのか。残した町の人々のことを心配したのか。理由は記されていない。しかし、ロトの妻は主の御言葉に背き、振り返り、塩の柱になった。
27節「アブラハムは翌朝早く起きて、かつて主の前に立った場所に立った。彼がソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろしてみると、地の煙が、まるでかまどの煙のように立ち上っていた」。アブラハムがかつて主の
前に立った場所に立った。主の前で、ソドムの救いのために執り成した場所です。
29節「神は、低地の町を滅ぼされたとき、すなわちロトが住んでいた町を滅ぼされた際、アブラハムのことを忘れず、ロトをその滅亡のただ中から救い出された」。今日の中心聖句です。「滅びと救い」。聖書に一貫する主題です。ロトは何故、滅びから救い出されたのか。神がアブラハムのことを忘れなかったからです。新共同訳では「神はアブラハムを御心に留め」。神はアブラハムの何を忘れず、御心に留められたのか。アブラハムの執り成しです。「あなたは義なる神です。そのあなたが、義しい者を悪い者と共に滅ぼされるのですか」。ソドムの町に50人の義しい者がいるかもしれない。いや、45人、40人、30人、20人、10人の義しい者がいるかもしれない。神は語られた。「私は10人の義しい者のために、滅ぼさない」。しかし、ソドムには10人の義しい者もいなかったので、滅ぼされた。しかし、アブラハムの必死な執り成しに御心を留められた髪は、ロトを救い出した。
(2)ソドムとゴモラの物語は過去の物語ではなく、現代のわれわれの物語です。滅びからの救いは何によってもたらされるのか。アブラハム物語を愛したには、伝道者パウロです。ローマの信徒への手紙5章18節。「そこで、一人の過ちによってすべての人が罪に定められたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです」。一人の義人キリストによって、すべての人が義とされた。それがどこで現されたのか、5章8節。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです」。主イエス・キリストの十字架の犠牲、執り成しにより、私どもは滅びから救い出された。
詩編106編23節。「主は言われた。『彼らを滅ぼそう』と。しかし、主に選ばれたモーセは、主の前で破れ目に立ち、滅ぼそうとする主の憤りをそらせた」。十字架という破れ目に立たれた主イエスは、神の怒りを身を挺して受け留め、私ども罪人を神の滅びから救い出された。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 8月26日の祈り 詩編147・1
「主よ、われらの神よ、われらの父となってください。なおしばしばきびしい苦しみのところとなり、いっさいのものがわれらに向かってきそうになるようなこの地上においても、自分の子らのために心をくばられるような父にです。われらの内側の世界を守り、われらの生の永遠の力であるあなたにおいてのみ、この世の救い主イエス・キリストにおいてのみ、誠実で、力強くいられるようにしてください。キリストはわれらのところに来ることを約束してくださいました。必要な時にはあなたがキリストをつかわしてくださるでしょう。時にどうしてよいかわからなくなってしまうようなすべての人々の上に、み手を強めてください。もろもろの道を与えて、われらがそれをあゆみ、永遠にみ名をたたえるようにしてください。アーメン」。
