1.この「救いの言葉」は私たちに送られました
(1)使徒言行録の一つの特徴は、最初の教会の説教が語られていることです。聖霊降臨の日に行われたペトロの説教(2・14~36)、エルサレム神殿の境内でのペトロの説教(3・11~26)、ユダヤの議会でのペトロ説教(4・8~12)、ステファノの説教(7・2~53)、異邦人コルネリウスの家でのペトロの説教(10・34~40)。そして第一回伝道旅行でのパウロの説教(13・16~47)です。今日、「説教とは何か」を問いかける時に、その原形がこれらの中にあります。ペトロも、ステファノも、パウロも、旧約聖書を説き明かしながら、神の救いの御業は主イエス・キリストにおいて実現したと語ります。生けるキリストを証言する説教をしています。
(2)使徒言行録13章は、シリアのアンティオキア教会から第一回伝道旅行に送り出されたパウロとバルナバが、安息日、アジアのビシディア州のアンティオキアのユダヤ人の会堂で行った説教が記されています。13章27節はその説教の続きです。
14節で、パウロとバルナバは、安息日にユダヤ人の会堂に入り席に着き、律法と預言者の書(旧約聖書)が朗読されるのを聴きました。会堂長たちの勧めにより、パウロは「励ましの言葉」「慰めの言葉」(説教)を語りました。キリスト教会の礼拝の原形は、ユダヤ教シナゴーグの礼拝にあります。礼拝の中心は、聖書朗読と説き明かしです。聖書の説き明かしは会衆に向かって、「励ましの言葉」「慰めの言葉」となりました。
律法と預言者の書を説き明かしながら、「神は約束に従って、ダビデの子孫から、イスラエルに救い主イエスを送ってくださった」と、キリスト証言をします。そしてこの「救いの言葉」である救い主イエスは、アブラハムの子孫であるユダヤ人にも、神を畏れる異邦人にも、私たちに送られたのですと語ります。26節までが説教の第一部です。
2.私たちも「約束の福音」を告げ知らせています
(1)27節から説教の第二部が始まります。「エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を、イエスを裁くことによって実現したのです」。面白い言葉です。神は約束に従って、救い主イエスを送って下さった。しかし、エルサレムに住む人や指導者たちは、イエスを認めず、イエスを裁くことにより、安息日ごとに読まれる預言者の言葉が実現した。成就した。預言者が語る言葉が、救い主イエスを受け入れず、裁くことによって実現した。その最たる預言者の言葉は、イザヤ書53章の「苦難の僕の歌」です。
28節「そして、死刑に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを殺すようにピラトに求めました。こうして、イエスについて書いてあることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました」。エルサレムの住民、指導者たちは、主イエスの内に死刑に当たる理由を見出せなかった。にもかかわらず、主イエスを殺すよう総督であり裁判長であるピラトに求めた。この出来事も、預言書が語っていることが「実現した」「成就した」と、パウロは捉えています。人々は主イエスを木から降ろし、墓に葬りました。十字架を「木」と呼ぶのは、申命記21章23節「木に掛けられた者は、神に呪われた者だからである」による。「十字架」は「神の呪いの木」である。
(2)30節「しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです」。主語が「人々」から「神」に転換します。人々は主イエスを十字架につけた。しかし、神は主イエスを死者の中から復活させた。この福音の核心は、聖霊降臨の日のペトロの説教の結びの言葉と響き合っています。2章36節「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。
31節「このイエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました」。甦られた主イエスは弟子たちに現れました。キリストの「顕現」です。復活の出来事だけでなく、顕現をも重んじています。「その人たちは今、民に対してイエスの証人となっています」。甦られた主イエスとお会いした者は、「復活者イエスの証人」「主の復活の証人」と呼ばれます。最初の教会が重んじた言葉です。
32節「私たちも、先祖に与えられた約束の福音をあなたがたに告げ知らせています」。先祖に与えられた「約束の福音」。旧約聖書が約束している救い主イエスの福音です。旧約聖書はキリストを証言している。これが最初の教会の旧約聖書理解です。それを会衆のユダヤ人と異邦人に説き明かします。
33節「つまり、神はイエスを復活させて、私たちの子孫のためにその約束を果たしてくださったのです」。それを具体的に旧約聖書の御言葉を採り上げて、立証します。
3.神の恵みの下に生き続けるように勧めた
(1)「それは詩編第二編にも、『あなたは私の子、私は今日、あなたを生んだ』と書いてあるとおりです」。詩編2編は、「王の即位の詩」です。王は「油注がれた者」(メシア)と呼ばれました。この御言葉は詩編2編7節の御言葉です。主イエスがヨルダン川で、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた時、天からこの声が聞こえて来ました。マルコ1章11節。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」。主イエスのメシア即位の出来事です。
34節「また、神がイエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、『私は、ダビデに約束した、確かな聖なるものをあなたがたに与える』と言われています」。イザヤ書55章3節です。預言者第三イザヤの言葉。バビロン捕囚からエルサレムに帰還し、荒廃した現実の前に佇む神の民に語られた御言葉です。パウロはこの御言葉を、神がイエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないことを預言していると捉えました。
35節「ですから、ほかの箇所にも、『あなたは、あなたの聖なる者を朽ち果てさせない』と言われています」。詩編16編10節の御言葉です。「メシア詩編」と呼ばれています。
36節「ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りに就いて先祖の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです」。
(2)38節「だから、兄弟たち、この方による罪の赦しが告げ知らされたことを知っていただきたい」。救い主イエスは「罪の赦し」という神の権威を行うために来られた。「そして、モーセの律法では義とされなかったあらゆることから解放され、信じる者は皆、この方によって義とされるのです」。「信じる者は皆、主イエス・キリストによって義とされる」。罪赦されて、神との義しい関係が成り立つ。パウロがロマ書、ガラテヤ書で語る「信仰義認」です。
40節「ですから、預言者の書に言われていることが起こらないように、気をつけなさい。『見よ、侮る者たち、驚け、滅び去れ。私は、あなたがたの時代に一つの業を行う。人が詳しく説明しても、あなたがたには到底信じられない業を』」。ハバクク書1章5節の御言葉です。神の審判を語る御言葉です。
42節「パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ」。礼拝を捧げ、説教を聴いた会衆の反応です。「次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ」。礼拝で語られ、聴かれる説教(福音)は、「同じこと」、すなわち、主イエス・キリストの十字架と復活の福音です。
43節「集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を崇める改宗者とが付いて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた」。礼拝で福音を聴いた者は、日々の生活で神の恵みの下に生き続ける。礼拝と生活、福音と倫理は一つであることが強調される。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 9月10日の祈り 使徒言行録18・9~10
「主よ、われらの神よ、われらはみまえに立っています。そしてあなたはわれらを、弱々しく貧しい人の子として、恵みをもって見てくださいます。弱く貧しい人の子は、あなたがその力強いみ手をもって助けてくださらなければ、自分で自分を助けるすべを知らないのです。われらはあなたを信頼します。あなたはわれらを助けてくださいます。常にわれらと共にいてくださり、困難な時にもみ心をなしてくださいます。み心は善をめざしています。われらが肩をならべてみことばを聞くとき、きょうもわれらを祝福してください。常にみことばによってわれらを強め、またよろこびあるものとしてください。みことばはわれらと全世界において勝利をにぎっているからです。そしてみ心が天にも行なわれるように、地にも行なわれるようにするのです。アーメン」。
