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2025年10月15日

「教会の伝道物語を黙想する32~私たちは主イエスの恵みによって救われると信じていますが、彼ら異邦人も同じことです~」

使徒言行録15章1~11節

井ノ川勝

1.最初の教会会議・エルサレム会議

(1)使徒言行録は聖霊によって誕生した教会の歩みを語っています。主から託された教会の御業は何でしょうか。教会の中心にあるのは、主を礼拝することと伝道することです。更に15章では会議を行っています。教会は信仰の問題がありますと、主の御前に集って会議をしています。15章は最初の教会会議、エルサレム会議が語られています。しかも、とても丁寧に語っています。教会の歩みを方向付ける重要な会議であったからです。

 

(2)教会会議のきっかけとなる問題が生じました。1節「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた」。

最初に誕生した教会はエルサレム教会です。ユダヤ人キリスト者中心の教会です。次に誕生したのは、シリアのアンティオキア教会です。異邦人キリスト者中心の教会です。更にアンティオキア教会は、より多くの民族にキリストを伝えるために、パウロとバルナバを第一回伝道旅行に遣わしました。直前の13、14章に記されていました。

エルサレム教会からユダヤ人キリスト者がアンティオキア教会にやって来ました。そこで問題提起をしました。「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」。問題の核心は、「救いの確かさとは何か」です。ユダヤ人キリスト者は洗礼を受ける前、モーセの律法(創世記17・9~14)に従い、神と契約を結んだしるしとして割礼を受けていました。ユダヤ人キリスト者は割礼を、異邦人キリスト者にも求めました。洗礼を受けるだけでは不十分である。割礼を受けて初めて救われるのだと主張しました。様々な民族に福音が伝えられる中で、教会のアイデンティティ、キリスト者のアイデンティティが改めて問われました。「救いの確かさ」を洗礼のみに置くのか、それとも洗礼+割礼に置くのか。パウロが宛てたガラテヤの信徒への手紙は、この問題が中心となっています。

2節「そして、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい対立と論争が生じたので、この件について、使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムに上ることになった」。

「救いの確かさ」を巡り、激しい対立と論争が生じました。教会の一致のために、教会会議がエルサレムに召集されました。会議の議員は、使徒と長老です。アンティオキア教会からは、パウロとバルナバ、その他数名の長老が出席しました。

 

2.私たちは主イエスの恵みによって救われると信じていますが、彼ら異邦人も同じことです

(1)3節「一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、きょうだいたちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた」。

 フェニキア、サマリアは異邦人キリスト者のいる地域です。パウロとバルナバは第一回伝道旅行で、多くの異邦人が洗礼を受けて、キリスト者となったことを報告しました。皆で喜びを分かち合いました。

 4節「エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した」。

 パウロとバルナバの一行はエルサレムに到着しました。パウロとバルナバはエルサレム教会でも、第一回伝道旅行の報告をしました。ユダヤ人キリスト者はその報告を聞き、喜びました。ここで注目すべきは、「神が自分たちと共に行われたこと」です。伝道の主体はパウロ、バルナバではなく、神です。神が共にいて、御業を行って下さった。それが異邦人にも洗礼を授け、キリスト者とすることです。

 5節「ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、『異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ』と言った」。

 ファリサイ派からキリスト者になった人々が問題提起をしました。ファリサイ派の人々は洗礼を受け、キリスト者になっても、モーセの律法を重んじることを主張しました。異邦人もモーセの律法を重んじ、割礼を受けるべきである。ここで確認しておくべきことがあります。パウロとバルナバも、洗礼を受けたキリスト者が旧約聖書を重んじなくてもよいとは語っていません。律法と割礼が救いの条件とすることを問題としているのです。様々な民族に伝道して行く上で、それは伝道の足枷になることを危惧しているのです。「キリストの恵み」によってのみ救われる。ここに伝道して行く上での扇の要があると確信したのです。

 

(2)6節「そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった」。愈々、教会会議が始まりました。中心議題は「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」という問題提起です。

 7節「議論を重ねた後、ペトロが立って言った」。エルサレム教会の中心に立つ使徒ペトロの発言です。会議の発言ですが、説教の言葉となっています。個人の意見ではなく、聖霊が会議を支配し、聖霊が語らせています。

 「兄弟の皆さん、ご存じのとおり、ずっと以前に、神は、あなたがたの間で私をお選びになりました。それは、異邦人が私の口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです」。

 ペトロのこの言葉も重要です。「異邦人が私の言葉を聞いて信じるようになるため」ではなく、「異邦人が私の口から福音の言葉を聞いて信じるようになるため」。聖霊がペトロの口に、「福音」(喜びの知らせ)を授けて下さり、その福音を伝道者は語るのです。伝道者は「聖霊の器」とされて、器に盛られた福音を告げるのです。

 8節「人の心をお見通しになる神は、私たちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らを受け入れられたことを証明なさったのです」。

 伝道において大切なことは、神はこの異邦人にも聖霊を注がれていることを受け留めることです。私どもが福音を語る前から、神はこの異邦人にも聖霊を注がれていた。神の御業が先行しているのです。神の御業を信じることから伝道が始まります。

 9節「また、彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした」。

 神はユダヤ人と異邦人とを何の差別もなさらない。これはペトロの伝道経験から生まれた確信です。10章で、ペトロの異邦人コルネリウス伝道が語られていました。ペトロはユダヤ人と異邦人とを差別していました。しかし、ペトロの頑なさが主の御言葉によって打ち砕かれました。10章34節「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どの民族の人であっても、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」。「神は人を分け隔てなさらない」。パウロはこの言葉をこう言い表しました。ローマ書3章21節「しかし今や、律法を離れて、しかも律法と預言者によって証しされて、神の義が現されました。神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません」。そしてパウロは主イエス・キリストの十字架の恵みを語ります。キリストの救いは差別なき救いです。

 10節「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖も私たちも負いきれなかった軛を、その弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのですか。私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、これは、彼ら異邦人も同じことです」。

 ペトロの福音の核心です。主イエス・キリストの十字架の恵みによってユダヤ人は救われた。それは異邦人にも同じことです。ペトロもかつては異邦人伝道では頑なでした。しかし、主イエス・キリストの十字架の恵みによって、その頑なさが打ち砕かれました。教会はすぐに頑なになりやすいのです。しかし、主イエス・キリストの十字架の福音に立ち戻り、打ち砕かれて、新たな伝道へと向かうのです。キリストの十字架の福音理解には頑固で、しかし、伝道には柔軟な心で。御言葉によって絶えず改革され、新たにされるのです。

 

3.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 10月15日の祈り マタイ9・12~13

「愛しまつる在天の父よ、多くの愚かなことをなし、ひどい破滅の中に立つ、不完全な、罪ある子としてみまえにあります。父よ、われらはみもとにまいります。あなたがわれらに対して永遠に父なる愛を抱いてくださることを、われらは知っています。それゆえにわれらに恵みをあたえてください。われらがこの地上の生にあって身に引き受けなければならないいっさいの害から、われらを助け出してください。人間の罪を恵みによって根絶してください。恵みはみ国を通じて地上に来たり、ついにはすべての人間に及び、自分に与えられた助けのゆえにすべての人間があなたの子としてよろこび、歓喜することをゆるしてくださるのです。すべての人間の上にあってみ名はほむべきかな!アーメン」。

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