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2025年10月22日

「教会の伝道物語を黙想する33~神が初めに心を配られ、異邦人の中からご自分の名を信じる民を選び出された~」

使徒言行録15章12~21節

井ノ川勝

1.私たちは何によって救われるのか

(1)使徒言行録15章は使徒言行録の丁度真ん中に当たります。教会最初の会議であるエルサレム会議が記されています。聖霊によって誕生した教会は、主を礼拝し、伝道しました。主から教会に託された大切な御業です。もう一つあります。それは会議です。教会は主に集められて、主の御心を問いながら会議を行うことを重んじて来ました。教会は主を礼拝し、伝道し、会議を行って来ました。しかし、教会会議は一般の会議と異なります。教会は「デモクラシー」(民衆の支配・民主権)ではなく、「キリストクラシー」(キリストの支配・キリスト主権)です。キリストが会議の真ん中に立たれ、会議を支配し、導かれる。従って、会議の構成員はキリストの御心を問いながら議論をし、決議をします。聖霊のご支配を信じることでもあります。最初の教会会議であるエルサレム会議は、このことを述べています。

 

(2)さて、なぜ最初の教会会議を行うことになったのか。それが15章1~11節で語られていました。シリアのアンティオキア教会から送り出されたパウロとバルナバの第一回伝道旅行により、キリストの福音がユダヤ人だけでなく、異邦人にも広がって行きました。様々な民族がキリストを受け入れ、洗礼を受け、キリスト者となりました。各地に主の群れ・教会が誕生しました。それは喜ばしいことです。ところが、そのことに対して、問題提起をする者が、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者にいました。1節「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」。問題の核心は「救いの確かさとは何か」「私たちは何によって救われるのか」です。救いの根本に関わることです。それ故、エルサレム教会で、使徒や長老たちが協議をするために集められました。

 ユダヤ人キリスト者は、ユダヤ教から改宗した人々です。その中に、神の選びのしるしである割礼、モーセの律法を重んじる者がいました。異邦人がキリストの名によって洗礼を受けるだけでは不十分であり、割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせるべきだと主張しました。この意見を巡って激しい議論が重ねられました。

 

2.神が初めに心を配られ、異邦人の中からご自分の名を信じる民を選び出された

(1)会議には会議を支配する空気があります。強い意見が支配し、会議が流されることがあります。しかし、会議を支配するのは聖霊です。一人の意見が会議の空気を変え、流れを変えることがあります。その意見とは、人間の思いではなく、主の御言葉に基づいた意見です。エルサレム会議の流れを変えたのは、ペトロの意見でした。ペトロも最初は異邦人伝道に消極的でした。しかし、そのペトロを回心させた出来事がありました。異邦人コルネリウス伝道です。10章9節以下で語られていることです。ペトロは異邦人コルネリウス伝道の経験を土台とし、語りました。

 8節「人の心をお見通しになる神は、私たちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、また、彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした。・・私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、これは、彼ら異邦人にも同じことです」。

 神はユダヤ人にも異邦人にも聖霊を与え、信仰によって清めて下さる。主イエスの恵みによって救われる。そこには何の差別もない。差別なき救いが主イエス・キリストの十字架と復活において起こった。それ故、キリストの名によって洗礼を受けるだけで救われる。洗礼を受けた異邦人に、割礼を施し、モーセの律法を負わせることは必要がない。ここに、ユダヤ人にも異邦人にも伝道する教会のアイデンティティが確立しました。ご復活された主イエス・キリストが弟子たちに託された神の権能です。マタイ28・19「だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。

 

(2)12節「すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人に間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた」。ペトロの後、意見を述べたのはパウロとバルナバでした。第一回伝道旅行を通して、神が異邦人になされた不思議な御業を報告しました。

 13節「二人が話を終えると、ヤコブが答えた」。主イエスの弟子のヤコブは殉教しています。エルサレム教だとも会の指導者の一人です。ヤコブの手紙を書いた人だとも言われています。カトリック教会で言えば、エルサレム教会の司教です。このヤコブがエルサレム会議の議長をしていたのかもしれません。

 「兄弟の皆さん、聞いてください。神が初めに心を配られ、異邦人の中からご自分の名を信じる民を選び出された次第については、シメオンが話してくれました」。

 「神が心を配られ」は、「神が顧みられる」という意味です。神は異邦人にも心を配られ、顧みられた。それ故、異邦人コルネリウスとその家族が洗礼を受けて、救われた。「シメオン」とはシモン・ペトロのことです。

 15節「預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。『その後、私は戻って来て、ダビデの倒れた幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、元どおりにする。それは、人々のうちの残った者や、私の名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためである』」。

 アモス書9章11~12節の御言葉です。「ダビデの倒れた幕屋を建て直す」。イスラエルの復興です。神の民の再建です。それは残りの者のユダヤ人だけでなく、主の名で呼ばれるすべての異邦人にも託されている主の御業です。神の民の再建こそ、教会を建てることと繋がります。

「昔から知らされていたことを行う主は、こう言われる」。イザヤ書45章21節の御言葉です。会議において、主の言葉に立ち帰り、主の言葉が会議を導く言葉となりました。パウロが第三回伝道旅行の終わりで、エフェソの長老に語られた遺言説教があります。その結びの言葉です。使徒言行録20章32節。「そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉とに委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に相続にあずからせることができるのです」。教会会議で重要なことは、神と主の言葉に委ねることです。聖霊に委ねることです。教会会議の議長は牧師がします。牧師は「神の言葉に仕える者」です。エルサレム会議がヤコブが行いました。

 

(3)19節「それで、私はこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」。伝道は神に立ち帰らせることです。神に悔い改めることです。それはユダヤ人だけでなく、異邦人にもなされることです。

 「ただ、偶像に供えて汚れた物と、淫らな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせている人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです」。

 エルサレム会議の議長のヤコブの結びの言葉です。主の言葉に立ち帰りながら、最終判断をしました。私たちが救われるのは、キリストの名による洗礼のみで十分。割礼を施す必要はない。しかし、ヤコブはユダヤ人キリスト者への配慮を求めました。偶像に供えて汚れた物と、淫らな行い、絞め殺した動物の肉と血を避けること。ユダヤ人キリスト者の躓きとならないよう、愛の配慮をすることを加えました。

 パウロがコリントの信徒への手紙一8章で、偶像に供えられた肉を食べてよいかどうか問われた時、それに躓く者がいれば、私は愛の配慮として食べないと語りました。

 

3.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 10月22日の祈り 黙示録8・3~4

「主なる神よ、われらはみまえにあり、祈り願います。われらの心と思いをあなたに、あなたのみに向けさせてください。あなたは全世界を越えて力あり、人の心のうちにあっていっさいのことをみ心のままになしうる方です。われらの時代に光をもたらしてください。すでにみもとに達している多くの祈願を聞きとどけてください。すでに幾百年の昔からみ座のまえにのぼっていく祈りです。み国を求め、地上におけるみ心を求める祈りです。この地は悪しき者の餌食になってしまったからです。われら人間は貧しく、みじめです。あなたのみ心がわれらを助けうるのです。主よ、われらの父なる神よ、われらを助けてください。艱難ののちのあなたの時を来たらせてください。あなたの大いなる日を、すべての世界、すべての民の上に来たらせてください。アーメン」。

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