top of page

第145回信徒セミナー「ニカイア信条」資料

2026年1月25日

        


1.テキスト

①<テキスト1>「ニカイア信条」(原ニカイア信条)325年(関川泰寛訳『ニカイア信条講解』)

われらは信ず。唯一の神、全能の父、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。

 主は神の御子、御父よりただ独り生まれ、すなわち御父の本質より生まれ、神よりの神、光よりの光、

真の神よりの真の神、造られずして生まれ、御父と同質なる御方を。

その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成れり。

主はわれら人間のため、またわれらの救いのために降り、肉をとり、人となり、苦しみを受け、

三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ねる者とを審くために来たり給う。

われらは信ず。聖霊を。

御子が存在しなかった時があったとか、御子は生まれる前には存在しなかったとか、存在しないものから造られたとか、他の実体または本質から造られたものであるとか、もしくは造られた者であるとか、

 神の御子は変化し異質になりうる者であると主張する者を、公同かつ使徒的な教会は呪うものである。


②<テキスト2>「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」(ニカイア信条)381年(改革長老教会協議会教会研究所訳)

わたしたちは、唯一の神、全能の父、天と地と、見えるものと見えないものすべての造り主を信じます。

わたしたちは、唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを信じます。

 主はすべての時に先立って、父より生まれ、光よりの光、まことの神よりのまことの神、

 造られずに生まれ、父と同質であり、すべてのものは、この方によって造られました。

 主は、わたしたち人間のため、またわたしたちの救いのために、天より降り、

 聖霊によって、おとめマリアより肉体を取って、人となり、

 わたしたちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、

 聖書に従って、三日目によみがえり、天に昇られました。

 そして父の右に座し、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。

 その御国は終わることがありません。

わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます。

 聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、預言者を通して語ってこられました。

わたしたちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信じます。わたしたちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を、信じ告白します。わたしたちは、死人のよみがえりと来たるべき世の命を待ち望みます。

アーメン。


③<テキスト3>「日本基督教会信仰の告白」1890年(『改革教会信仰告白集』教文館、漢字の表記を現代

訳に一部改定)

 我らが神と崇むる、主耶蘇基督は、神の独子にして、人類のため、その罪の救ひのために、人となりて苦を受け我等が罪のために、完全き犠牲をささげ給へり。凡そ信仰に由りて、之と一体となれるものは赦されて義とせらる。基督に於ける信仰は、愛に由りて作用きて人の心を清む。また父と子と、ともに崇められ、礼拝せらるる聖霊は我等が魂に耶蘇基督を顕示す。その恩によるに非ざれば、罪に死したる人、神の国に入ることを得ず。古の預言者使徒および聖人は聖霊に啓廸せられたり、新旧両訳の聖書のうちに語りたまふ聖霊は宗教上のことにつき誤謬なき最上の審判者なり。往時の教会は、聖書に拠りて、左の告白文を作れり。我等もまた、聖徒が曾て傳へられたる、信仰の道を奉じ、讃美と感謝とを以て、その告白に同意を表す

 我は天地の造成者、全能の父なる神を信ず。我はその独子、我等の主耶蘇基督を信ず、即ち聖霊によりて処女マリアより生れ、ポンテオ、ピラトの下に苦を受け、十字架につけられ、死して葬られ、(陰府に下り)第三日に死者のうちより復活り、天に昇りて、全能の父なる神の右に座し給へり、彼所より来りて生けるものと死ねるものとを審判きたまはん、

 我は聖霊を信ず、聖なる公同教会すなはち聖徒の交通、罪の赦、身体の復活、永遠の生命を信ず。アーメン


2.何故「ニカイア信条」を学ぶのか

皆さんの中には、今年の修養会で、「何故、ニカイア信条を学ぶのか」と思われた方もいたと思われます。その目的はただ一つです。私どもの教会の礼拝を生き生きと豊かにするためです。礼拝を生き生きと豊かにすることは、いろいろなことが考えられます。20世紀の後半より世界的な礼拝改革運動が起こり、礼拝式の見直しが行われました。礼拝式の中にいろいろな要素が加えられました。しかし、礼拝を生き生きと豊かにする中心にあるものは、何よりも私どもが礼拝する神への信仰を明晰にすることです。この点を疎かにして、礼拝式に様々な要素を加えても、真実に礼拝を生き生きと豊かなものにするとは限りません。その意味で、「ニカイア信条」は、私どもが礼拝する神への信仰を明晰に告白した大切な信仰告白です。

 皆さんの中には、戦前に金沢教会で洗礼を受けられた方がいると思います。戦前、金沢教会は改革派の信仰、長老制度の教会が集まって出来た「日本基督教会」に属していました。「日本基督教会」が告白していた信仰告白が、<テキスト3>で上げた「日本基督教会信仰の告白」です。戦前に金沢教会で洗礼を受けられた方は、この「日本基督教会信仰の告白」を告白して、洗礼を授けられたはずです。


「日本基督教会信仰の告白」は、日本で最初に告白された日本人のための日本語の信仰告白です。難産の末に生まれた信仰告白ですが、教会の歴史の浅い日本において、日本人に伝道する上で、これ程、簡潔で明晰な信仰告白はありません。将に、神が摂理の御手によって、私ども日本に与えて下さった信仰告白であると言えます。今年2017年はルターが宗教改革を行なってから500年の記念の年です。宗教改革とは何であったかという問いかけに対し、様々な返答をすることが出来ます。しかし、その中心にあったのは礼拝改革でした。母国語で聖書が朗読され、説き明かされ、聴かれ、母国語で神を讃美する。民衆のための礼拝を取り戻す改革でした。日本語で聖書が朗読され、説き明かされ、聴かれ、日本語で神を讃美し、信仰告白をする。それこそが、日本人に伝道する教会の大切な姿勢であったのです。

 「日本基督教会信仰の告白」は、1890年(明治23)に制定されました。従って、「1890年の信仰の告白」「明治23年の信仰の告白」とも呼ばれています。1890年(明治23)という年号に注目して下さい。この年には、「教育勅語」が制定され、前年には「大日本帝国憲法」が発布されました。天皇を神と崇める法的な枠組みが確立され、「日本の国のかたち」が構築されるという状況の中で、この信仰の告白が制定されたのです。「我らが神と崇むる主耶蘇基督は」と、「主イエス・キリストこそ神である」と冒頭から明晰な言葉で信仰の告白をした当時の教会の姿勢、伝道の意気込みに感服します。


「日本基督教会信仰の告白」で注目すべき信仰の言葉が二つあります。第一は、「我らが神と崇むる主耶蘇基督は」。主イエス・キリストを「神」と明確に告白している点です。第二は、「父と子と、ともに崇められ、礼拝せらるる聖霊は」。聖霊も「神」と明確に告白している点です。そしていずれも「崇むる」「礼拝せらるる」と、主イエス・キリストを「神」、聖霊を「神」として崇め、父、子、聖霊なる三位一体の神を礼拝する信仰が明晰に告白されていることです。私たちが礼拝する神を明晰に信仰告白することが、同時に、伝道する言葉となるということです。「日本基督教会信仰の告白」はこのように、「礼拝の視点」と「伝道の視点」が響き合ったところに生まれた日本で最初に告白された、日本人のための日本語の信仰告白であったのです。

 歴史の浅い日本の教会が、何故、これ程、簡潔で豊かで明晰な信仰告白を作成できたのでしょうか。それは米国オランダ改革派教会、米国長老教会の宣教師の導きによります。中でも「日本基督教会信仰の告白」は、信仰告白改定委員長であった米国長老教会の宣教師インブリーの導きが大きかったのです。これらの宣教師が重んじた信仰が、「ニカイア信条」でした。「日本基督教会信仰の告白」の土台にあるのが、「ニカイア信条」であったのです。金沢教会の信仰のルーツを辿ると、「ニカイア信条」に遡ることが出来る。その意味で、金沢教会にとって大切な信仰告白なのです。


太平洋戦争中、数名の神学者・伝道者が東京基督教研究所を立ち上げ、横浜指路教会に集まり、ひたすら「基本信条」の研究と翻訳作業を行いました。その中に「ニカイア信条」も含まれています。横浜指路教会の林三喜牧師、吉祥寺教会の竹森満佐一牧師、武蔵野教会の熊野義孝牧師たちです。空襲の危険に絶えず曝され、命懸けで作業を続けました。東京と横浜の間を往復し、生きて帰れるか分からない覚悟で作業を続けました。何故、そこまでして「基本信条」「ニカイア信条」の日本語訳に命を懸けたのでしょうか。戦争という激しい嵐の中にある日本の教会が、「基本信条」「ニカイア信条」を土台として立たないと、主の教会として堅く立って行けないからです。そこに教会のいのちが懸っているからです。この東京基督教研究所訳が、後に『信条集』(前篇、後編、新教出版社)となって出版されました。


皆さんが「ニカイア信条」と親しみ、触れ合うのは、音楽においてです。音楽で「クレド」(信仰告白)と言えば、「ニカイア信条」が挙げられます。


3.何故「ニカイア信条」が生まれたのか

皆さんの中には、テキストに二つの「ニカイア信条」が挙げられていることに、疑問を感じられた方もいるでしょう。何故、このような二つの「ニカイア信条」が生まれたのでしょうか。それは歴史の必然性があったからです。キリスト教会が誕生してから最初の大きな問題は、「イエスとは誰か」という一点にありました。これは教会が立ちもし倒れもする、教会の信仰の要石です。聖書をとおして、様々なイエス理解が生まれました。イエスは神ではなく、人間である。しかし、ただの人間ではなく、神に最も近い私どもの模範者である。教会の信仰の要は「イエス・キリストへの信仰」に懸っています。この生命線が揺らいだら、キリスト教会は歴史の中で立ち続けることは出来ません。そのため、「イエス・キリストへの信仰」を明確にすることが、3世紀から8世紀にかけて、教会の最も重要な信仰の課題であったのです。そこに教会の信仰のいのちがあるからです。


3世紀から8世紀にかけて、教会が異端との闘いの中で制定した「基本信条」と呼ばれる信仰告白があります。これは今日、プロテスタント教会、ローマ・カトリック教会、正教会の全てのキリスト教会が、教会の信仰の基本・土台としている信仰告白です。「公同の信仰告白」とも呼ばれます。「公同(カトリック)の信仰」とは、「普遍的な」という意味であり、どんな時代においても、どんな場所においても、同じ信仰に立つということです。もし、「基本信条」を告白していない教会があれば、それは正統的なキリスト教会とは言えません。異端の教会となります。「基本信条」は以下のものです。

 1.「ニカイア信条」(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)381年

  「御子は御父と同質」

 2.「カルケドン信条」451年

  「われらの主イエス・キリストは、まことの神にしてまことの人」

 3.「アタナシウス信条」5~6世紀

  「われらが、一つなる神を三位において、三位を一つなる神において礼拝し」

 4.「使徒信条」8世紀頃

  (今日の形になったのが8世紀頃です。そのルーツは3世紀のローマの洗礼信条「古ローマ信条」に

遡ることが出来る)

 これら4つの「基本信条」を通して「イエス・キリストは神、聖霊も神である、父、子、聖霊なる三位一体の神への信仰」、「イエス・キリストはまことの神にして、まことの人である信仰」が明晰に告白され、キリスト教会の土台が確立されました。しかし、このような「教会の信仰」「公同の信仰」が確立されるためには、異端との激し闘いがあったのです。


313年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が、ミラノの寛容令でキリスト教を公認しました。キリスト教会はローマ帝国の迫害の対象から一転して、ローマ帝国の宗教になりました。しかし、キリスト教会は、「イエスは誰か」を巡って、激しい論争が繰り広げられていました。コンスタンティヌス帝はローマ帝国を治めるためには、キリスト教会の信仰の一致が欠かせないと判断し、325年、ニカイア(ニケア)で教会会議を開催しました。それが「ニカイア会議」です。ニカイア(ニケア)は今日のトルコにある町です。この「ニカイア会議」で制定された信条が、「ニカイア信条」(ニケア信条)です。今日では「原ニカイア信条」(原ニケア信条)と呼んでいます。

 「原ニカイア信条」を読んで誰もが驚くのが、最後の言葉が「呪われよ」(アナテマ)で結ばれていることです。この信仰告白に「アーメン」と言えない者は、「呪われよ」。激しい言葉です。正統的な教会の信仰に立たない異端を論駁する言葉です。当時のキリスト教会に二つの陣営がありました。一方の陣営は今でもエジプトの国にありますアレクサンドリアの司教の下にいた神学者アリウスです。もう一方の陣営はアンティオキアの聖職者で、後に司教となったアタナシオスです。アリウスの主張は、イエス・キリストを神の御子として告白する。しかし、神の御子が存在しない時があったと言った。神の御子が存在しない時があったと言うと、イエス・キリストは永遠なる神ではなく、被造物ということになる。何故、アリウスはこのような主張をしたのでしょうか。アリウスは神こそただひとりの神という点に教会の生命線があると主張する。そこでイエス・キリストを神であると認めたら、神がおひとりであることが成り立たなくなる。そこからアリウスの主張が生まれた。

「ニカイア会議」は、父なる神と御子イエス・キリストとの関係に焦点が定められた。論争の結果、「原ニカイア信条」は、このような文言になりました。「御子は御父と同質なる御方」。この「同質」(ホモウシオス・ギリシャ語)という言葉を用いることで、御子も御父と同じ神であることを明確に言い表しました。アリウスとアタナシウスの主張では、一文字違っただけでした。

アリウス   「ホモウシオス」(類似) 御子は御父と「類似」。すなわち、御子は神ではない。

アタナシオス 「ホモウシオス」(同質)御子は御父と「同質」。従って、御子は神である。

 この一字の違いが、その後の教会の歩みを決定づけました。もし、アリウスの主張が認められ、御子イエス・キリストは神の御子ではあるが、神ではないという主張に軍配が挙がれば、キリスト教会は二千年の間、歴史に生き続けることが出来なかったとも言えます。人間の混乱の中に、神の摂理の御手が働いたとしか言いようがありません。教会のいのちを救ったと言えます。


しかし、325年の「ニカイア会議」で、「原ニカイア信条」の制定で、すべて決着がついたわけではありませんでした。その後、アリウスの勢力が盛り返します。アリウスの主張の方が、アタナシウスよりも、信仰的に理解し易かったとも言えます。アリウスの政治的な画策もあり、アタナシウスはその後、アレクサンドリアの司教になりましたが、五度までも司教の座から追放されることが起こりました。また、「同質」(ホモウシオス)という言葉が聖書にない言葉であったので、批判がありました。

 そこでコンスタンティヌス帝は、381年にコンスタンティノポリスで会議を開催しました。この会議で採択されたのが、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」で、今日「ニカイア信条」と呼び、これを用いています。「原ニカイア信条」が「呪われよ」という言葉があり、論争的であるのに対し、「ニカイア信条」には、「呪われよ」という言葉はなく、讃美・頌栄の言葉で構成されています。礼拝の言葉とも言えます。

325年の「原ニカイア信条」制定から、381年の「ニカイア信条」の制定までの56年間、様々な信仰の闘いがありましたが、しかし、同時に、各地域において、「論争の信条」が「礼拝の信条」として形造られて行った。それが結晶したのが、「ニカイア信条」であったのです。

「原ニカイア信条」の「御子は御父と同質」という信仰を受け継ぎながら、聖霊への信仰が豊かになっています。「原ニカイア信条」の信仰を受け継いでいるので、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」と呼ばれるようになりました。


しかし、ただ一点がその後、大きな議論となりました。「聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ」という言葉です。コンスタンティノポリス会議で制定された「ニカイア信条」の言葉は、「聖霊は、父から出て、父と子とともに礼拝され」でした。しかし、その後、聖霊がどこから生まれるのかが信仰上の重要な問題となりました。「子からも」(フィリオクエ・ラテン語)を加えようとしました。その方が聖書に忠実であるからです。これが大きな論争になりました。「子からも」(フィリオクエ)を入れるか入れないかで、「フィリオクエ論争」となり、1054年、東西の教会の分裂を生みました。東の教会は、「聖霊は父から出て」の立場です。今日の正教会です。ギリシャ語で神学をするギリシャ教父を生みました。西の教会は、「聖霊は父と子から出て」の立場です。今日のローマ・カトリック教会、やがてそこから分裂して、プロテスタント教会が生まれました。ラテン語で神学をするラテン教父を生みました。


日本教会史おいても、アタナシウスとアリウス論争と同じ論争が起こりました。植村・海老名のキリスト論論争です。植村正久は日本基督教会の中心的指導者で、富士見町教会牧師。海老名弾正は日本組合教会の中心的指導者で、本郷教会(今日の弓町本郷教会)牧師。この二人の間に論争が起きました。1901年(明治34)からほぼ一年間繰り広げられました。植村正久は機関紙「福音新報」を通し、海老名弾正は機関紙「新人」を通して、激しい論争を繰り広げました。きっかけは福音同盟会主催の20世紀大挙伝道に、講師として海老名弾正を選んだことに対し、植村が疑義を唱えたことから始まりました。海老名のキリストへの信仰に問題があり、信徒大会の講師としてふさわしくないということが、その理由でした。海老名はイエス・キリストを神の子だとは認めている。しかし、神とは認めない。私どもの優れた宗教的な模範者である。しかし、植村はイエス・キリストを神と認めないと、礼拝も成り立たない、洗礼の根拠も失われ、十字架の贖いの救いもはっきりとしなくなり、伝道出来なくなると主張しました。将に、「ニカイア信条」のイエス・キリストへの告白が、論争の焦点でした。結局、この論争は決着がつかずに終わりました。

 しかし、植村・海老名のキリスト論論争は、昔のことではなく、今日の日本基督教団にも受け継がれている重要な問題です。


4.ニカイア信条を黙想する

今回の副題を、「ニカイア信条を黙想する」としました。「聖書の御言葉を黙想する」ことは聞いても、「信条を黙想する」ということは聞いたことがないと言われる方もいるかもしれません。「黙想する」ということは、深く味わうということです。牛が胃袋にいれた食物を、また口に戻して反芻するように、何度も何度も噛みしめて、そこから滲み出て来る神の恵みを深く味わってみる。聖書の御言葉だけでなく、教会の信仰に欠かせない信条を深く味わってみることが、大切だと思っています。元々、「信条」の言葉は、「聖書」から生み出されました。「信条」の言葉を味わうということは、その源泉である「聖書」の御言葉を味わうことと一つのことです。

 教会の大切な言葉に、「祈りの法則が信仰の法則」があります。教会の信仰を規定するものは何かということです。それは学問の言葉でも、論争の言葉でもない。祈りの言葉である。言い換えれば、礼拝の言葉こそ、教会の信仰を規定するということです。「ニカイア信条」こそ、「祈りの法則が信仰の法則である」ことを最もよく言い表しています。「ニカイア信条」は礼拝にふさわしい言葉で綴られているからです。言い換えれば、「健やかで、いのち溢れる信仰」が言い表されています。正統な信仰は、健康で、いのち溢れる信仰をもたらします。

今回は、時間の都合で、キリストへの告白と聖霊への告白に絞ります。


(1)キリストへの告白―イエス・キリストとは誰か

「わたしたちは、唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを信じます。主はすべての時に先立って、父より生まれ、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずに生まれ、父と同質であり、すべてのものは、この方によって造られました。

 主は、わたしたち人間のため、またわたしたちの救いのために、天より降り、聖霊によって、おとめマリアより肉体を取って、人となり、わたしたちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って、三日目によみがえり、天に昇られました。そして父の右に座し、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません」。

 竹森満佐一牧師が「ニカイア信条」を「鋭いキリスト告白」と言い表しました。これは「ニカイア信条」を鋭く捉えた言葉です。私どもの教会の信仰の中心・要にあるのは、「キリストへの信仰」です。キリストへの信仰に対して、私どもは鈍く、不明瞭あってはなりません。鋭く、明晰でなくてはなりません。


①「われらは信ず。唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを」

「キリストへの信仰」の最初にある告白です。「イエス・キリストは唯一の主、ただひとりの主」。「原ニカイア信条」「ニカイア信条」は、ローマ皇帝のキリスト教公認以後に成立した信仰告白です。しかし、ローマ皇帝の300年に亘るキリスト教会への迫害の時代の根幹にあったキリストへの信仰です。ローマ皇帝は「唯一の主」「神の独り子」と崇められました。しかし、キリスト教会は「イエス・キリストこそ唯一の主、神の独り子」として、ローマ皇帝を神として崇めませんでした。そのためローマ皇帝より厳しい迫害を受けました。このキリスト告白は、ヨハネの黙示録から受け継がれている命懸けの闘いの信仰告白であったのです。これは今日、異教社会である日本に生きる私どもキリスト者の信仰の闘いでもある。

「唯一の主、神の独り子、イエス・キリスト」と関連する聖書の御言葉を挙げます。「主」という言葉は、旧約聖書では唯一の神だけにしか与えられない名でした。それが新約聖書では、イエス・キリストへの呼び名となりました。


「シモン・ペトロが『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた」(マタイによる福音書16・16)。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。・・いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネによる福音書1・14、18)。

「トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った」(ヨハネによる福音書20・28)。

「また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(コリントの信徒への手紙一12・3)。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分となり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」(フィリピの信徒への手紙2・6~11)。

「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである』」(ヨハネの黙示録1・8)。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方」(ヨハネの黙示録4・8)。


②「主はすべての時に先立って、父より生まれ、・・造られずに生まれ、父と同質であり」

 アタナシウスとアリウスとの論争の要点が、教会会議を経て、このような信仰の言葉で告白されました。アリウスは「御子が存在しなかった時があった」と主張しました。しかし、「ニカイア信条」は、「主(御子)はすべての時に先立って、父より生まれ、・・造られずに生まれ」と告白しました。「父より生まれ、造られずに生まれ」と、同じ言葉が繰り返され、強調されています。御子は父なる神より「造られた」被造物ではない。父なる神より「生まれた」。「生まれた」ということは、御子と御父とは一つ、同質であるということです。

 「同質」(ホモウシオス)という言葉は聖書にない言葉であると批判されました。言い換えれば、「一つ」という意味です。それを意味する言葉は聖書にあります。いずれも主イエス・キリストの言葉です。

 「わたしと父とは一つである」(ヨハネによる福音書10・30)。

 「わたしを見た者は、父を見たのだ。・・わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか」(ヨハネによる福音書14・9~10)。


③「主は、・・光よりの光、まことの神よりのまことの神」

 私が初めて「ニカイア信条」に触れた時、心動かされた信仰の言葉です。「主は、光よりの光、まことの神よりのまことの神」。信仰告白に視覚的な言葉が用いられるのは、極めて稀なことです。しかし、ユダヤ教の迫害、ローマ帝国の迫害、教会内での異端との闘いという暗黒の時代にあって、「主は、光よりの光、まことの神よりのまことの神」という視覚的な信仰が、どんなにか慰めとなったことでしょう。私ども教会の信仰は、耳で聴き、頭で理解することに留まりません。目で見、手で触れ、口で味わう体全体で経験する感覚的なものを伴うのです。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について」(ヨハネの手紙一1・1)。

 何よりも聖書が、イエス・キリストを「光」と告白しています。


 「これは我等らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(ルカによる福音書1・78~79)。

 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらず成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネによる福音書1・1~5)。

 「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ』」(ヨハネによる福音書8・12)。

 「イエスは言われた。『光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい』」(ヨハネによる福音書12・35~36)。

 「わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(ヨハネの手紙一1・5~7)。

 「わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」(ヨハネの黙示録22・16)。


④「すべてのものは、この方によって造られました」

 驚くべきことが告白されています。御子も天地創造の御業に参与されていた主である。この信仰も聖書で告白されています。コロサイの信徒への手紙です。「ニカイア信条」のキリストへの信仰告白の基になりました。

 「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものより先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです」(コロサイの信徒への手紙1・15~18)。


(2)キリストへの告白―イエス・キリストの御業

「主は、わたしたち人間のため、またわたしたちの救いのために、天より降り、聖霊によって、おとめマリアより肉体を取って、人となり、わたしたちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って、三日目によみがえり、天に昇られました。そして父の右に座し、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません」。


「キリストへの告白」の前半は、「イエス・キリストは誰なのか」、すなわち、「イエス・キリストの人格」が告白されていました。後半は「イエス・キリストは何をされたのか」、すなわち、「イエス・キリストの御業」が告白されています。

 これらの告白の元になった聖書の御言葉は、コリントの信徒への手紙一15章3~5節の最初の教会の信仰告白にあります。

 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです」。


「使徒信条」とほぼ同じ内容で、イエス・キリストの御業が告白されています。しかし、違いもあります。そこに「ニカイア信条」の特色があります。「ニカイア信条」では、イエス・キリストの御業が、「わたしたち人間のため」「わたしたちの救いのために」「わたしたちのために」という言葉が繰り返され、強調されています。

また、「肉体を取って、人となり」が強調されています。イエス・キリストは私たちと人間と同じ肉体を取って、十字架につけられた。まことの神がまことの人となられたことが強調されています。「使徒信条」では、「ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」という順序で、十字架につけられる前の受難に力点が置かれています。他方、「ニカイア信条」では、「ポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け」という順序で、十字架の苦しみに力点が置かれています。

更に、「ニカイア信条」では、「聖書に従って、三日目によみがえり」とあるように、「聖書に従って」、すなわち、神の救いのご計画に従って、十字架につけられたイエス・キリストが、三日目によみがえられたことが強調されています。


③「栄光をもって再び来られます」

キリストの再臨を、「栄光をもって再び来られます」と告白しています。「栄光」という言葉が強調されます。「光よりの光」と響き合う言葉です。次の聖書の御言葉と深く関わりがあります。

「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください」(ペトロの手紙二1・16~19)。


④「その御国は終わることがありません」

 私が初めて「ニカイア信条」に触れた時に、心動かされた告白の一つが、「その御国は終わることがありません」でした。「使徒信条」にはありません。聖書的典拠は、御使ガブリエルがマリアに受胎告知した御言葉にあります。

 「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(ルカによる福音書1・33)。

 神の被造物である私どものいのち、私どもの世界には限りがあります。しかし、神の御国は終わることがない。その神の御国に、滅ぶべき私どものいのちが、主イエス・キリストの救いの御業によって、入れられる約束をされています。何と感謝すべきことでしょう。

 次の主イエス・キリストの御言葉も、この告白の言葉と関連があります。

 「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」(ヨハネの黙示録1・17~18)。

 十字架で一度は死んだ主イエス・キリストが甦り、父なる神の右にいて、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を握っておられる。死と陰府の力はもはや私どもを滅びへ追いやることは出来ない。


(3)聖霊への告白

 「わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、預言者を通して語ってこられました」。

 325年の「原ニカイア信条」から381年の「ニカイア信条」と比べますと、聖霊への信仰が豊かになりました。「原ニカイア信条」では、「われらは聖霊を信ず」だけでした。私どもの救いにとって、聖霊なる神の働きは欠くことが出来ないからです。


①「わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます」

 聖霊も主であり、人格を持った神であることが明確に告白されています。聖霊の働きは何よりも、私どもにいのちを与えることです。古からの祈りに、「創り主なる聖霊よ」があります。私どもを新たに創造する働きをするのが聖霊です。「主であり、いのちを与える聖霊」の聖書的典拠として、次の御言葉が挙げられます。

 「イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない』」(ヨハネによる福音書3・5)。

 「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(ローマの信徒への手紙8・2)。

 「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(ローマの信徒への手紙8・6)。

 「キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、霊は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」(ローマの信徒への手紙8・10~11)。

 「肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」(ローマの信徒への手紙8・13~15)。

 「ここでいう主とは、霊のことですが、主の霊のおられるところに自由があります」(コリントの信徒への手紙二3・17)。


②「聖霊は、父と子とともに礼拝され、あがめられ」

 325年の「原ニカイア信条」に比べ、381年の「ニカイア信条」における聖霊への信仰が豊かになった理由は、何よりも聖霊による生き生きとした礼拝経験であったと言われます。聖霊は主として、父と子と共に礼拝され、あがめられる神です。洗礼、祝祷の言葉は、礼拝と結び付いています。

 「イエスは近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって、洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』」(マタイによる福音書28・18~20)。

 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」(コリントの信徒への手紙二13・13)。

 「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネによる福音書4・23~24)。


③「聖霊は、父と子から出て」

 381年の「ニカイア信条」では、「聖霊は父から出て」でした。しかし、後に、「子からも」(フィリオクエ)の一字を加えるかどうかで、聖霊の発出の問題で、「フィリオクエ論争」が起こり、1054年に東の教会と西の教会とに分裂しました。東方教会は「聖霊は父から出て」の立場、西方教会は「聖霊は父と子から出て」の立場です。東方教会は正教会、西方教会はローマ・カトリック教会、そして後に分かれたプロテスタント教会です。西方教会は聖霊は父なる神との関係だけでなく、御子との関係が聖書に従って重要だと考えました。主イエス・キリストご自身、聖霊についてこのように語られています。

 「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである」(ヨハネによる福音書15・26)。

 「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(ヨハネによる福音書16・7)。

 「ニカイア信条」における父、子、聖霊の関係は、次のように告白されていました。

 「主は父より生まれ」「聖霊は父と子から出て」。いずれも「造られた」ではなく、「生まれ」「出て」という言葉が用いることにより、父、子との一つの密接な関係を表し、主、神であることを言い表しています。


④「聖霊は、預言者を通して語ってこられました」

 見えざる聖霊を私どもは掴みどころがないように思えます。しばしば聖霊は言葉で言い表せない神秘的な聖霊体験として結びつくことがあります。しかし、「ニカイア信条」は、「聖霊は預言者を通して語ってこられました」と、「聖霊」と「言葉」とが緊密に結びついていることを強調しています。これはとても大切な点で、聖霊信仰の急所を突いています。「預言者」は「説教者」とも言えます。「聖霊」と「言葉」との関係を表す聖書の御言葉を挙げます。

 「では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に『アーメン』と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです」(コリントの信徒への手紙一14・15~16)。

 「反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、『まことに、神はあなたがたの内におられます』と皆の前で言い表すことになるでしょう」(コリントの信徒への手紙一14・24~25)。

 「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(テモテへの手紙二3・14~16)。

 「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(ペトロの手紙二1・20~21)。


5.何故、「ニカイア信条」が日本伝道に不可欠なのか

日本という異教社会に生きる私どもキリスト者にとって、「ニカイア信条」の信仰を明確にすることが、日本伝道にとって不可欠です。日本社会は人間や自然が容易に神となって祀られます。また亡くなった方が祖霊となって祀られます。そのような中で、御子は神、聖霊も神である信仰を明確に語ることが不可欠です。

 金沢教会で1941年(昭和16)から1971年(昭和46)の30年間伝道した伝道者に、上河原雄吉牧師がいました。『救いの岩―上河原雄吉牧師遺稿集―』、金沢教会長老会、1983年)に、上河原雄吉牧師の説教が数編納められています。その中に、1935年(昭和10)4月15日、日中戦争、太平洋戦争前夜、三重県の津伝道教会で行った「基督礼拝と偶像崇拝」と題する説教があります。このような説教は真宗王国北陸金沢でも行っています。説教の言葉が、「ニカイア信条」「1890年の日本基督教会信仰の告白」の信仰に貫かれた信仰告白的説教の言葉となっています。


「だから、直截に云って、基督教信仰は基督礼拝である。

世には小賢しく、我等は基督を礼拝するのではない。基督の礼拝された神を礼拝するのだと云う人がある。

然し、その天父は誰によって示されたのであるか。イエスは天父に就いて語った人ではない。彼は啓示者なのである。『我を見しものは父を見しなり』と云われた。キリスト・イエスは、天を指して神は『あそこに』と云われず、『我』を見よと云われたのである。我等にはキリストの外に父を啓示するものはない。だから、基督礼拝に至らざる天父礼拝はない筈である。少なくとも、聖書の基督教は、キリストが『我を信ぜよ』『我に従え』と云われ、『父と我とは一つなり』と云われて居るのを見ても、基督を神として礼拝して居ることは明白である。

・・在来のユダヤ人としては我等のは拝するべきはエホバのみ、キリストを礼拝すると云うが如きは偶像礼拝ではないかとの疑問より、キリスト礼拝は、ユダヤ人には躓物となったのである。

・・彼等はキリスト教徒がキリストを偶像として礼拝せず、真の神として礼拝して居ったものとしなければならぬ。然しそれは可能であろうか。

そこで、問わねばならぬのは偶像とは何かである。簡単に云えば、物質、又は、人間の神化である。人間の神化を考えて見よう。これは、あらゆる例を日本に発見することが出来る。家康も崇められて神となり、近くは東郷大将も尊敬された結果神にされ様として居る。

神ならざる人間が神に化する、云わば成上がった神である。かくすれば、神の座は幾萬にもなり、偶像の生ずるは理よりも明らかである。

イエス・キリストも人間であったが、尊敬された結果崇められて神として礼拝される様になったのであるか。

もしも、かかる事であるならば、それは明らかに偶像崇拝である。基督教会は、その教理史の長い論争に於いて、いつも、かかる傾向を養子説として排斥して来たのである。

・・即ち、キリストに、人間の神聖化を見るところに基督教信仰はなく、反対に我等を救う為に、神が人間化し給うたのを実感するところに基督教信仰はあるのである。

故に基督は神の人間化、受肉である。神御自身の人間への切迫である。この事は奇跡であり考えることの出来ない程の恩寵であるが、断じて偶像礼拝ではないのである。

・・たとえ、そこに自国歴史の伝統上に困難があろうとも、また将来伝道の上に不自由を感じ様とも、彼等の眼のあやりに見、霊魂に彫りつけられし主の人格は、『わが主』『わが神』として、高く仰ぐべき神の姿であったのである」。


天皇を神とする神国日本・軍国主義国家にあって、キリストを神として礼拝する。家康、東郷大将も死んで神となって神社で祀られる、人間が神となる人間神化の日本にあって、神が人間となった真の神、真の人であるイエス・キリストを礼拝する。死んだ人間が祖霊となって神宮の森に宿り、子孫を永遠に見守る諸霊の支配する日本にあって、聖霊もまた神として礼拝する。日本伝道の生命線は、御子を神として礼拝し、聖霊も三位一体の神として礼拝する、そのような明晰な信仰を語る教会の伝道の言葉となっているかどうかに懸っています。


「公同の信仰」に生きるキリストの教会の主日礼拝は、全ての人に、全ての教派のキリスト者に開かれています。それ故、礼拝で告白される信仰告白は、「公同の信仰」である「基本信条」の内、「使徒信条」が用いられています。しかし、教会の信仰をより明確に告白している「ニカイア信条」を聖餐礼拝の時に用いることも、検討すべきことではないかと思います。

 「ニカイア信条」は、「使徒信条」に比べ、教会への告白、洗礼への告白がより詳細で、明確な言葉で告白されています。

「わたしたちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信じます。

わたしたちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を、信じ告白します。

わたしたちは、死者のよみがえりと来たるべき世の命を待ち望みます

アーメン」。


6.参考文献

①関川泰寛著『ニカイア信条講解―キリスト教の神髄』(教文館、1995年)

②加藤常昭著「ニケア信条」『加藤常昭説教全集29』(教文館、2006年)

③朝岡勝著『ニカイア信条を読むー信じ、告白し、待ち望む』(いのちのことば社、2016年)

石川県金沢市柿木畠5番2号

TEL 076-221-5396 FAX 076-263-3951

© 日本基督教団 金沢教会

bottom of page